シール工が怒って帰った日
ある現場で、こんなことがあった。
主任が、吹付工事の遅れを次工程のシール工に伝えていなかった。吹付が遅れている影響で、予定していた作業の半分ができない状況だったにもかかわらず、何の連絡もせずその日を迎えた。
忙しい合間を縫って現場に来たシール工からすれば、たまったものではない。半分しか作業ができないとわかっていたら、別の現場を優先できたかもしれない。それを知らされないまま現場に入り、無駄足を踏まされた。シール工は怒って帰ってしまった。
主任に言わせれば、こうだろう。「とりあえずできるところだけ進めてもらえばよかった」
これが理屈だ。作業は半分でも進む。仕事として成立しないわけではない。
しかし、道理は通らない。シール工の時間も、段取りも、忙しい中で現場に来てくれているという事実も、何一つ考慮されていない。報告すべきことを報告しなかった。それだけのことが、信頼を一瞬で壊した。
歩掛りと実績だけで組まれた工程
似たようなことは、工程管理でもよく見かける。
歩掛りや過去の実績をもとに、工程を組む担当者がいる。「このくらいの規模なら、過去の実績からこの日数で組める」——データとしては、間違っていない。一見すると、根拠のある正しい工程表に見える。
しかし、その工程は誰にも相談せずに組まれている。
実際にその工程で動く職人に、無理がないか確認したか。資材の納期と本当に整合しているか。近隣への影響を考慮したか。そうした道理を踏まえずに、数字とデータだけで組み立てられた工程は、現場では機能しない。
理屈は通っている。歩掛りも実績も、根拠としては正しい。しかし、道理は通っていない。
「理にかなっていない」という言葉
現場では、よく「それは理にかなっていない」という言葉を使う。
工程の組み方、職人への指示、施主への説明——「正しいかどうか」より先に、「理にかなっているかどうか」が判断基準になる場面が、現場には多々ある。これはまさに、道理が通っているかどうかを問う言葉だ。
理屈の上では正しくても、「理にかなっていない」と感じる瞬間がある。そう感じたときは、たいてい道理のほうが欠けている。
理屈にも、価値がある
ここまで「理屈より道理」という話をしてきた。しかし、理屈そのものを否定したいわけではない。
理屈には理屈の価値がある。論理的に推測すること、データをもとに考えをまとめること、根拠を持って説明すること——これらは仕事を進める上で欠かせない力だ。歩掛りや実績も、正しく使えば現場を支える強力な道具になる。
問題は、理屈だけで完結させてしまうことだ。
理屈と道理、両方の引き出しを持つ
理屈は、物事を整理し、筋道立てて考えるための道具だ。道理は、その先で「相手や現場にとって本当に正しいか」を確かめるための物差しだ。
理屈で組み立て、道理で確かめる。この両方の引き出しを持ち、場面に応じて使い分けることが大切ではないかと思う。
工程を考えるときは、まず理屈で組み立てる。データや実績をもとに、論理的に最短の道筋を描く。しかしその工程を実行に移す前に、必ず道理で確かめる。「この工程で、関係者に無理はないか」「筋は通っているか」。
理屈だけで突き進めば、現場は壊れる。道理だけでは、根拠のない情緒論になってしまうこともある。両方があって、初めて現場は前に進む。
両方の引き出しを、使い分ける
35年、現場に立ってきて思う。
理屈は、考えをまとめ、物事を前に進めるための力強い道具だ。しかし理屈だけで突き進めば、いずれ道理を欠いた判断につながる。
理屈と道理、両方の引き出しを持ち、場面に応じて使い分ける。それが、長く現場で信頼を積み重ねていくということではないかと思っている。


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