成長するのが面倒

——その先に何が待っているか

現場には、職人からの質問をそのまま投げてくる主任がいる。

「カーテンボックスから繋がる梁型がサッシの額縁を飲み込んでしまうのですが、どうしましょうか」「樋のつなぎ方、これでいいでしょうか」「ダボレールの補強と電気のボックスが干渉するのですが」

質問自体は、現場でよくあることだ。問題は、その聞き方だ。

「自分の意見を持って質問してこい」

私が若い頃、先輩からこう言われた。

「ちったー考えてからモノを言えよ」

「私はこう思うのですが、これでよろしいでしょうか」「①と②のやり方なら、こちらのほうがいいと思うのですが」——そういう聞き方をしてこい、という意味だった。

これができるかどうかで、その人の成長は大きく変わる。自分の意見を持って質問する人は、答えをもらった瞬間に「なぜそうなるのか」まで理解する。考えずに質問だけ投げる人は、答えをもらっても、また次も同じように質問するだけだ。

「あとは所長がやってよ」にしか聞こえない

経験10数年のその主任は、現場では少なくとも所長の次の立場だ。

しかし質問の仕方を見ていると、こう聞こえてくる。

「僕は忙しいんだから、あとは所長がやってよ」

考える時間も、責任を持つ気もない。すぐに答えが欲しい。その時点で、彼の成長はそこで止まる。

本人にとっては「これでいい」のかもしれない

正直なところ、本人はこの状態に満足しているのかもしれない。

現場の仕事は好きだと言っていた。今の状態がいいとも言っていた。資格も、つい最近一級建築施工管理技士を取得した。給料も、私とそう変わらない。

傍から見れば、十分な「成功」だ。本人がそれで満足しているなら、それも一つの生き方だと思う。

しかし、時間は止まらない

ただ、一つだけ言いたいことがある。

成長を止めるという選択をした瞬間、本人の時間は止まる。しかし周りの時間は止まらない。

後輩は育っていく。技術は進歩していく。現場で求められるものも変わっていく。本人だけが、同じ場所に立ち止まっている。

その差は、最初は小さい。しかし数年、十数年経つと、埋められないほど大きな差になる。資格は取った。給料も同等。でもその先の景色が、全く違うものになっている。

「選択させる」という、もう一つの視点

「責任を取りたくない」という気持ちは、理解できる。誰しも、できれば責任を負いたくないものだ。それ自体は、否定しない。

しかし、もう一歩進めて「提案力」を持ってみてはどうだろうか。

さらに言えば、「選択させる」という形に持っていければ、それはプロの仕事だと思う。

一つの商品を売るのと、二つの商品を見せて選んでもらうのと、どちらがやりやすいだろうか。答えは明らかだ。

「①と②、どちらがよろしいでしょうか」

これは、相手に決定権を委ねることで、より早く答えを導き出すやり方だ。これは私がリフォームの営業・打合せ・工事を通して学んだスキルだ。

現場の人間には、そういう発想がまだ少ないかもしれない。しかし「質問するだけ」と「選択肢を示して相手に決めてもらう」の間には、大きな差がある。

若い人たちへ

考えることは、面倒だ。意見を持つことは、責任が伴う。だから「質問するだけ」のほうが楽だ。それはよくわかる。

しかし、その「楽」を選んだ瞬間から、成長は止まる。今がどれだけ満足できる状態であっても、それは一時的なものかもしれない。

自分の意見を持って質問する。さらに、選択肢を示して相手に委ねる。それだけで、見える景色が変わってくる。

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