外国人を道具として使う現場、人として迎える現場——35年で見た、その違い
社会課題 / 外国人労働者 / 建設業
外国人を道具として使う現場、
人として迎える現場
——35年で見た、その違い
現場監督歴35年以上 レオ管理職・経営者向け
日本で働く外国人労働者が257万人を超えたという。建設現場でも、外国人なしでは現場が回らない時代になった。35年間、私はさまざまな現場で外国人労働者と共に働いてきた。はっきり言う。雇い主の「接し方」ひとつで、現場がまったく別の場所になる。
257万人+
日本で働く外国人労働者数(2026年現在)
29種類
在留資格の種類。観光客と在留外国人は全く異なる
2027年
技能実習制度廃止・育成就労制度スタート
「もう日本では働きたくない」——ある技能実習生の言葉
かつて勤めた会社に、技能実習生が監督補佐として配属されていた。
しかし実態は、制度の趣旨とはかけ離れていた。彼らは「多能工」という名目で、常用土工の代わりとして現場のあらゆる作業に駆り出されていた。技能を学ぶのではなく、ただ安い労働力として使われていたのだ。
滞在期間が終わり、彼らが帰国する日。その言葉が今も耳に残っている。
「もう日本では働きたくない。」
——ある技能実習生の言葉
やるせなかった。日本という国が、一人の人間にそう言わせてしまった。それが悔しかった。
同じ現場で見た、天と地の差
一方で、まったく別の光景も見てきた。
設備工の下で、乱暴な言葉で怒鳴られながら黙って作業する外国人がいた。道具を扱うように指示を出す職人。委縮しながらも手を動かし続ける外国人労働者。見ていて胸が痛かった。
しかし別の現場では、配管工の職長として打ち合わせに参加する外国人がいた。工事写真の撮影を任され、責任を持って仕事をこなす外国人がいた。型枠工として、左官工として、笑顔で仕事をする外国人がいた。
同じ「外国人労働者」でも、現場によってこれだけ違う
道具として扱う現場
人として迎える現場
怒鳴られながら黙って作業する
職長として打ち合わせに参加する
本来の技能と関係ない作業をさせられる
工事写真など責任ある仕事を任される
「もう日本では働きたくない」と去っていく
笑顔で仕事をし、技術を磨いていく
委縮して力を発揮できない
安心して力を存分に発揮できる
違いはどこにあるのか。外国人の能力でも、国籍でも、制度でもない。雇い主・管理職の「接し方」だ。
問題は「受け入れるか否か」ではない
外国人政策について、「受け入れるべきか」「受け入れるべきでないか」という議論が続いている。
でも私はその議論がずれていると感じる。既に257万人が日本で働いている。建設現場も、農業も、介護も、外国人なしでは成り立たない産業が増えている。問題は「受け入れるか否か」ではなく、「どう迎えるか」だ。
ある言葉が心に残っている。
「分断をもたらす排他主義や、犠牲を顧みない経済的合理性の追求に抗する、社会の楔となるものは何か——。私は、一人一人の顔といった具体的な像をもって心に立ち現れる『友情』のような、確固たる結びつきではないかと考えます」
「一人一人の顔」。
まさにこの言葉だと思う。外国人労働者を「257万人」という数字で見るのではなく、目の前の一人の人間として向き合う。それができるかどうかが、現場の管理職に問われていることだ。
人として受け入れるか、道具として受け入れるか
外国人労働者は、賃金だけで働く場所を決めているわけではない。職場の人間関係、仕事への誇り、自分が尊重されているかどうか——そういうことを感じながら働いている。それは日本人と何ら変わらない。
管理職として、今できること
外国人を迎える現場を作るのは、制度でも政府でもない。現場の管理職一人ひとりの姿勢だ。
怒鳴らない。文化の違いを理解しようとする。責任ある仕事を任せる。成長を認める。それだけで現場は変わる。
技能実習制度は2024年に廃止が決まり、2027年から「育成就労制度」が始まる。制度は変わる。でも人の心は、制度では変わらない。変えられるのは、自分自身の向き合い方だけだ。
カウンターから
「もう日本では働きたくない」と言って去っていった彼の顔が、今も忘れられない。
あの言葉は、私への問いかけでもあったと思う。あなたは人として向き合ったか、と。
今夜も一杯やりながら、そんなことを考えている。
※ 外国人労働者数は厚生労働省「外国人雇用状況の届出状況」を参考にしています。


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