——その残業代は、誰が払うのか
以前、稲盛和夫の方程式について書いた。
人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力
今日、この方程式がそのまま当てはまる出来事があった。
遅くまで書いた手順書
ある若手監督が、足場解体の手順書を作っていた。
パッチワークのように、工程を細かく色分けした手順書だった。これを見た時、正直なところ「本当にこの通りにできるのだろうか」と思った。しかし遅くまで頑張って作ったものだ。何も言わなかった。
熱意は本物だったと思う。色分けの細かさを見れば、能力もないわけではない。
当日、鳶からの一言
足場解体当日、鳶からこう言われた。
「この通りにはできない。こんなに日数をかけなくても終わる。」
そりゃそうだ、と思った。
鳶は常用ではなく請負で解体を行う。儲けの旨味がない、パッチワークのように細かく分けられた解体手順は、彼らにとってやっていられないものだ。これは決して鳶が悪いわけではない。請負という仕事のあり方からすれば、当然の反応だと思う。
熱意も能力もあった。でも考え方が——
ここで稲盛和夫の方程式に戻る。
熱意はあった。遅くまで残って取り組む姿勢は、間違いなく評価できる。能力も、細かく工程を分ける技術力という意味では、悪くない。
しかし、考え方が間違っていた。
そもそも、鳶に相談して計画書を作っていない。自分の思い込みと経験値だけで、机の上で組み立てた手順書だった。足場解体は、実際に手を動かす鳶が一番よくわかっている。「こういう順番で考えているのですが、実際はどうでしょうか」——その一言があれば、現場に即した手順書になったはずだ。
考え方ひとつで、同じ熱意と能力が、まったく違う結果につながる。
「経過を見てほしい」という気持ち
若手の立場からすれば、こう思うかもしれない。
「こんなに頑張ったのに」「苦労して、悩んで、時間をかけて作ったのに」
その気持ちは、痛いほどわかる。
しかし厳しいことを言えば、結果が全てだ。
勝つか負けるか、そのどちらかしかない。経過は評価されない。どれだけ苦労したかは、結果の前では意味を持たない。
これは冷たい話に聞こえるかもしれない。しかし所長という立場になれば、よくわかると思う。
会社が見るのは結果だ。施主が見るのも結果だ。近隣が見るのも結果だ。経過にどれだけの苦労があったかは、誰も見ていない。見ているのは、できあがったもの、起きた出来事、その結果だけだ。
評価者の立場で見ると
ここで、評価する側の視点で考えてみたい。
遅くまで残業して手順書を作った。しかし結果として、現場では使えなかった。評価者からすれば、これはこう見える。
「残業代を減らす努力を怠っている」
相談していれば、もっと短い時間で、現場に即した手順書ができたはずだ。その一手間を惜しんだ結果、時間をかけても使えないものができた。「頑張った」という事実だけでは、評価にはつながらない。むしろ「なぜ事前に相談しなかったのか」という見方をされてしまう。
若い現場監督の皆さんへ
頑張る姿勢は、間違いなく大切だ。しかし頑張る方向を間違えると、その努力が報われないことがある。
机の上で考える前に、現場で働く人に一言相談してみてほしい。それだけで、同じ時間がもっと意味のあるものになる。そして、評価する側からの見え方も、大きく変わってくるはずだ。


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